『ティティプー見聞録』レクチャー記録

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【報告】①梅原宏司氏によるレクチャー「純粋な発明としての日本 ー消費資本主義、人種主義、ユートピアー」(2013/6/27実施)

第一回目のレクチャー&ディスカッションでは、文化政策研究者で立教大学兼任講師の梅原宏司氏を招いて、「純粋な発明としての日本 ー消費資本主義、人種主義、ユートピアー」と題したレクチャーを実施、それに基づきながら、参加者による議論を行った。
レクチャーでは、『ティティプー見聞録』で中心的に取り上げる予定のオペレッタ『ミカド』(ウィリアム・シュウェンク・ギルバート作、アーサー・サリヴァン音楽)の創作および受容を分析するなかで、日本像が西洋で、また日本で新たに「発明」されてゆくプロセスを辿っていった。
『ミカド』が上演された1885年のイギリスにおいて、産業資本主義の完成と消費資本主義の到来に対する反撥として、前資本主義社会への文化的回帰を目論むロマンチックな運動(ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスなど)が活発になっていたという時代背景に注目した上で、その文脈のなかで、ロマンティックかつエロティックな異国の表象として『ミカド』が大ヒットしていったことを確認した。ここでは、フレドリック・ジェイムソンのユートピア概念(偽りの全体性としてのイデオロギー=ユートピア)を援用しながら、『ミカド』が多文化主義における人種主義的ユートピアとして機能していることを分析した。
そして、日本人みずからも欧米による日本像(禅・わび・さび・単純性・精神性)への擬態(mimicry)を通じて、それらへの複雑な重なり合いのなかで自画像が形成されてきたことが確認された。
そもそも本レクチャーは、全体の第一回目として、一神教的ゴッドの本来的不在の場所としての日本という紋切り型についての問題の在所を概観・共有することを目的として企画されたものであった。
近年のカルチュラル・スタディーズによる成果として、物質的諸制度のみならず個人の眼差しや内面における諸制度についてもまた歴史的なものであり、新たに発見されてきたものであることが周知のものとなりつつあるが、それに対するかつてあった日本、日本の古層といったものもまた、それら近代的諸観念の構築に伴いながら、また反撥しながら新しく発明されてきたものと言えよう。この意味で、一元化された「西洋」に対する反規定として要請された「日本」の歴史性については引き続き問題としてゆかなければなるまい。
しかしながら、ディスカッションの際に議論に上ったことでもあるが、そのような日本像の(無意識的/場合によっては意識的)誤認の上に立ってはじめて、日本における主体構築という試みがなされてきたこともまた事実であるーーそれは、講座派の日本文学における強い影響とその成果のみならず、三島由紀夫の晩年の活動の意味についてもこのような文脈のなかで考えられるべきものである。また、近年の「Jという場所」や「J演劇」をめぐる議論においても、その議論的出自はこのような線上に位置付けられようーー。
そうであってみれば、それらの認識における錯誤を啓蒙的立場から正してゆくことだけではなく、それらの試みにおける思想的運動としての可能性および不可能性についても歴史的布置のなかに位置付けてゆく作業をも経てはじめて、来るべき主体の姿を構想してゆくことが可能となってくるのであろう。
そのような意味で、問題を焦点化してゆくに資するところ大なる議論であったと考えている。

森澤友一朗(ピーチャム・カンパニー 制作)

【批評】①飯島孝良「記号としての日本と禅~『ティティプー見聞録』第1回レクチャーに寄す」

先日の«The Mikado»レクチャーにおいては、「記号としての日本と大衆によるその消費」が問題軸のひとつに据えられたものと拝聴した。そうした事態へどう批判的にかかわるかで、『ティティプー見聞録』の今後の方向性は如何様にも変化していくだろうことも、想像に難くない。討議においては「“日本”をどうしても問題にせねばならないのか」という本質的な問いも提出されていたが、そのひとつの応答として「記号としての禅」について指摘するのは、無駄ではないと思われる。
討議の中でも言及されたように、現代文化でもしばしば消費されている「禅」は、あたかも日本文化を代表するような公認の記号のようにみえる。しかし問題は、消費される記号として「禅」を公認したのは誰か、ということである。端的にいえば、それは欧米のオリエンタリズムとそれに順応しようとする日本のpretentionに外ならない。山田奨治『禅という名の日本丸』は、その実態を次々と暴いてみせている。そこで俎上に乗せられるのは、欧米人が憧憬し受容する日本の武芸と石庭である。
オイゲン・ヘリゲル『弓と禅Zen in der Kunst des Bogenschiessens』は、禅と武芸に日本文化の特質をみるものとして、いまだに実に多くの読者を得ている。宗教心にも等しい克己心を通して、関東大震災においても揺るがぬ「不動のこころ」を有している日本人は、自身も弓道を修めるヘリゲルにとって脅威的であった。『弓と禅』は欧米で相当の読者を獲得し、今なお読み継がれるものとなった。そのため、禅と何かを安易に結び付けた書名が相次ぎ、『禅とオートバイ修理』『禅とおむつ替え』『禅と編み物』などが登場する。だが、実はどれも禅との深い因果はない(『禅と脚本技術』なる著書もあるが、いよいよ禅と無関係な著述ばかりである)。いや、むしろ曖昧な連想だからこそ、「何となく」意味深長な禅的イメージが形成されうるということだった。そして石庭が京都を代表する観光名所となっている龍安寺にしても、戦前まで荒れ放題の惨憺たる禅寺だったという。それがこれほど隆盛を誇るまでになったのは、戦後日本の歴史教科書や文化史家の記述によるところが多い。しかしそればかりでなく、ブルーノ・タウトのモダニズム文化論やイサム・ノグチの現代石庭設計も連動して、龍安寺を一躍著名にした。すなわち、禅の石庭にある「不可解さ」「奥深さ」が日本文化を想起させる、というのである。或る種一方的に欧米から「奥深い」というイメージを付与され、その「奥深さ」を自らの利点と思い込むところに、日本的自意識の一端が形成される。いわばそれは、外郭が自己の内実を自覚化させる事態といえる。
しかし単純に疑問を抱かせるのは、本当に「禅=日本」なのか、ということである。これまで瞥見した如何にも記号的な「禅」の公式化に一役買ったのは、ひとりは鈴木大拙であろう。『禅と日本文化』を欧米へ発信しながら日本文化の真相を希求した大拙は、間違いなく20世紀禅学の旗手であった。フランスの中国学者ポール・ドゥミエヴィルに「文芸・武道・茶道など日本文化らしきものなら何でも禅とする」とさえ評された大拙を、だからといってナショナリストとするのは余りに早計であろう。何故ならそうした「禅オリエンタリズム」をとくに推し進めていったのは、大拙のあとにつづく学者―それも「禅者は神秘家である」というルドルフ・オットーや「禅の自己放棄的側面がファシズムに寄与した」というアーサー・ケストラーといった欧米の論客―だったからである。
そして現在、「禅=日本」という公式は大拙の真意をもはや問題にしていない。禅を日本文化の象徴として消費する「大衆」こそが、問題の主体なのである。克己的で沈黙を好むような禅、何となく意味ありげで奥深そうな禅―。そういうイメージは、何者かが主体的に提供しているのではなく、完全に大衆の方へ回収されている。例えば、禅で「たいせつなのは、言語をいわく言いがたいものの神秘的な沈黙のもとに押しつぶすことではなくて、言語に『見切りをつける』ことなのであり、たえず象徴が執念ぶかく事物にとってかわろうとする働きを独特の旋回運動のなかにまきこんで、表現へと導いてしまう言葉の独楽を停止させることなのである」などと評するロラン・バルト『表徴の帝国L’empire des signes』などは、いわゆる「看話禅」を現代思想風に解釈した典型例と言えるだろう。「『無』とは何かをひたすら坐って答えてみよ」などという「公案」に打ち込んで自己の打発を目指すこの「看話禅」は、宋代中国以来とくに臨済宗で重んじられた修行法であり、確かに克己的で超論理的な側面を提示してくれるものといえよう。しかしそういう側面を無条件にもてはやすことは、前述してきたような「禅」の固定的イメージをきれいになぞっているにすぎないのである。
そのうえ、禅は«ZEN»とはみられても«CHAN»とはみられていない。すなわち、「禅」という語を日本語(日本文化)としては受容しても中国語(中国文化)としては受容しない実態が現存している。言うまでもなく、いわゆる禅仏教の実質的起源は唐代の中国にある。にもかかわらず、現代世界では日本文化の代弁者に位置づけられている。これは、先述の大拙『禅と日本文化』が欧米へ与えた影響が少なくないのだろう。そういう意味で、「禅=日本」などという公式は必ずしも単純ではなく、禅へのそうした見方を「オリエンタリズム」と形容するのも、ある種乱暴なレッテル張りになる。
改めて問いたいのは、こういう「オリエンタリズム」の如きイメージの体系を決定している主体は誰なのか、ということになる。ここまで瞥見したように、「禅」も「オリエンタリズム」も、一枚岩ではないのである。その重層性を根底から掘り返す中で、記号としての「日本」とその消費は真相を露わにするのではないか。それはまた、ピーチャム・カンパニーの直面する問題にも少なからずかかわるものではないか。

飯島孝良(いいじま・たかよし/日本宗教思想史)